曽我物における富士野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:49 UTC 版)
幸若舞曲に、曽我物語が原典と考えられている「曽我物」の一群が認められる。「一満箱王」では「此世をいでの屋形まで、三十八度狙い、ついに本望遂げつつ、後名を家に残しけり」とあり、仇討ちの場所として井出の屋形が登場する。「小袖曽我」では「ふじ野へのいとまごひ(暇乞)の其ために、はは(母)上にまいらるる」とあり、兄弟が富士野で敵討ちをするため暇を乞う描写から始まる。「ふじ野はおとにきく、ときならぬゆき(雪)のある所なれは」とあり、母は富士野の寒さを案じて十郎(曾我祐成)に小袖を与えている。また五郎が「ふじ野へまかりいで、こころのままに討死を極めばや」と意気込む描写がある。 「夜討曽我」では畠山重忠と和田義盛が兄弟の援助者である構造を持ち、義盛が「今夜富士野に飛ぶ火燃えいづ」と述べ、今宵夜討ちすべきであると助言する場面がある。また「何と蛙のなきそひて いて(井出)の屋形を別るらん」と、井出の屋形が登場する。
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