曖昧さまたは循環
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 06:27 UTC 版)
こうした批判への応答として真理の対応説の擁護者がとりうるのは、世界についての対応説と矛盾しない見解を提示することである。もし提示しないのであれば議論は曖昧になり、もし提示するのであれば議論は循環する。真理の対応説の擁護者が世界に関する理論を提示しないのであれば、真理の対応説は真理に関する理論として使用できないか理解することすらできないものになる。この場合、真理とは漠然とした、把握できない世界との対応である。どのようにして真理とされる命題が、対応の程度によって判断するべき世界よりも確からしいのかを知ることはできない。他方で、もし対応説の支持者が世界についての理論を提示するのであれば、その理論は何らかの存在論的もしくは科学的な理論にそって提示されるので、その存在論的もしくは科学的な理論自体が正当化を必要とする。しかし、世界についての理論が真であることを示すために対応説の支持者が取りうる唯一の方法は、現実世界との対応である。したがって、議論は循環している。
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