暁民共産党事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 18:49 UTC 版)
しかし11月25日に近藤が逮捕、12月1日には関係者40名が一斉検挙された(暁民共産党事件 / 軍隊赤化事件)。近藤・高津・仲宗根らは、8月20日の協議により「暁民共産党」を結成したものと当局によって決めつけられ(実際には結成はされていなかったとの説が有力である)、被検挙者中15名が出版法および治安警察法の違反容疑で起訴され、1922年4月25日、近藤の禁錮10ヵ月の他、高津・仲宗根ら合計8名の禁錮・罰金の判決が下った(それ以外は無罪)。この事件によって暁民会は壊滅したが、そのメンバーの大半は同年7月の日本共産党「創立大会」に参加したため、暁民会(もしくは「暁民共産党」グループ)は第一次日本共産党の源流の一つと見なされている。
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