時鐘の鋳造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 02:07 UTC 版)
3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)に上洛した際、閏7月25日に大坂城に入城し、翌26日に大坂・堺・奈良の地子免除を布告した。家光が高麗橋筋の櫓に上り、その窓から金の采配を振ったのが、地子免除を告げる合図であったが、それを事前に知らされていた惣年寄や町年寄、その他の主だった町人たちは城外の芝生から采配を振られたのを見て歓声を上げたという。 この地子銀免除に感謝の意を表して、惣年寄らは時鐘を鋳造することを決めた。そして、許可を受けた上で、銀80貫目の助成も得て、二ツ井戸付近で鐘を鋳造し、高麗橋矢倉筋に釣鐘屋敷を建設した。
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