映画の味方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:27 UTC 版)
原田が亡くなった際、荒戸源次郎は彼を評して「一言で言うと、映画の味方だった数少ない人。映画にとりつかれ、いい映画を作りたい一心でした。普段はおだやかだけど、仕事場ではとても怖い人でしたから、かけらでも手を抜けなかった」と語った。 中上健次『日輪の翼』を、原田芳雄監督で映画化する計画があった。中上自身による脚本の第一稿もでき上がっており、その後、手直しを経て映画化に取り掛かる計画だった。1992年の中上健次の死で頓挫を余儀なくされたものの、その後も原田芳雄は映画化を諦めず、2008年当時のインタビューでは「今は迂回しながら怠け心に鞭打っているところです。今、あと何年位ということは言えませんが、必ずやる」と語っていた。
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