映画の中の37秒間の空白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:38 UTC 版)
「北京的西瓜」の記事における「映画の中の37秒間の空白」の解説
映画の中で中国で再会するシーンがあり実話と同じく、当初は1989年7月に中国においてロケが行われる予定だった。しかし、その前月にいわゆる天安門事件(六四天安門事件、1989年6月4日)が起こる。当初中国側からは「スタッフの安全は保証する」とのことだったが、撮影するかしないかの判断を促された結果、中国でのロケは行わないことになる。映画の中では直接この事件に関する出来事も事件に対する批判も一切出てこないが、事件と失われた中国ロケを忘れないために、1989年6月4日を数字にして全部を足した時間(1+9+8+9+6+4=37)の空白が挿入され、画面がまるで事故でも起こったかのように意図的に37秒間ほど真っ白になる。 大林は映画のパンフレットの中でこう書いている。「映画とは、画で表現することで、映画になる。しかし、ぼくらの映画に、北京の画は無い。ぼくはそのことを、何も写っていない、素ヌケの、空白のフィルムを北京部分につないでみることで表してみた。しかし、これはもはや映画的表現などではない。〈中略〉これは政治でも報道でもない、映画としての、ぼくたちのギリギリの主張であった」と。
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