明石賢生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 16:07 UTC 版)
明石 賢生(あかし けんせい、1947年 - 1996年8月4日[1])は、日本の編集者・実業家・カメラマン。エルシー企画・群雄社出版社長。アリス出版副社長。
注釈
- ^ 『Billy』1982年2月号のインタビューではクレジオの所在地は下落合だが、『スペクテイター』39号掲載の記事「なぜなに学習塾 自販機本『Jam』ってなあに?」(ばるぼら)では中落合となっている。
- ^ 出版取次を介した一般書籍の発行は「群雄社出版」という名前で行っていたが、ビニ本の発行は「群雄社」「群雄新社」というブランドを名乗り、自販機本の発行は「海鳴書房」というブランドを名乗った。
- ^ ビップ(旧・VIPエンタープライズ)は群雄社の映像部門として1982年に設営され、群雄社の倒産後もアダルトビデオメーカーとして存続した。初代社長は『HEAVEN』2代目編集長の近藤十四郎。
- ^ 美沢真之助をして「『Jam』『HEAVEN』が奇跡的に成立できたのは社長のこの社是にある」と言わしめた。
出典
- ^ a b c 岡留安則「編集長日誌」『噂の真相』1996年10月号、p.142
- ^ 山崎春美「WHO'S WHO 人命事典 第3回」『スペクテイター』39号 127頁。
- ^ a b c d e f g h 亀和田武「夢でまた逢えたら 第43回 商魂たくましくも純情きらりなアウトロー人生」『小説宝石』2015年3月号、pp.354-359
- ^ a b c 白夜書房『Billy』1982年2月号 山崎春美のスーパー変態インタビュー「ウンチでビルが建った!? 群雄社代表取締役 明石賢生」
- ^ a b 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書、2011年、pp.91-93
- ^ 『Quick Japan』Vol.16「天国桟敷の人々―エロ本三国志④ 群雄社設立とビニール本の時代」p.183
- ^ a b 本誌取材班「警視庁ワイセツ摘発の最新動向をさぐる」『噂の真相』1981年12月号、p.56
- ^ 『HEAVEN』は後に「雑誌内雑誌」として他誌に移籍する。逮捕後の顚末については「Jam (自販機本)#歴史(1974年~1983年)」を参照。
- ^ “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第36回 スカトロ誌における青山正明”. ばるぼら. 大洋図書 (2008年12月7日). 2018年3月24日閲覧。
- ^ 岡留安則「編集長日誌」『噂の真相』1996年12月号、p.142
- ^ 亀和田武、坪内祐三、目黒考二「岡留安則追悼座談会 下半身に人格が宿る!」『本の雑誌』2019年5月号、pp.15-16
- ^ 『Quick Japan』Vol.14「天国桟敷の人々─隅田川乱一インタビュー」p.161
- ^ 亀和田武「夢でまた逢えたら 第42回 あの年、斉藤チヤ子は京都祇王寺で涙を流していた。」『小説宝石』2015年2月号、p.104
- ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 p.37
- ^ 高杉弾『香港夢幻』大栄出版 1995年 254頁。
- ^ エロスの果てに・中野D児物語
- ^ あの人は今こうしている“フェチの鬼才”中野D児 六本木でウエーターをやっていた 日刊ゲンダイ 2014年9月14日
- ^ 【蔵出】幻の『色単』について - たけくまメモ 2005年4月3日付
- ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第5回
- ^ 忘れえぬ君(1)イッサクさんの巻 - たけくまメモ 2006年3月6日付
- ^ 竹熊健太郎のツイート 2014年2月16日
- ^ a b 『Quick Japan』Vol.12 竹熊健太郎「自動販売機と青春―エロ本は僕らの学校だった」p.128 - 129
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