明治5年以前の日付の留意点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:45 UTC 版)
「太陰太陽暦」の記事における「明治5年以前の日付の留意点」の解説
日本の歴史で明治5年以前、明治4年までの年については、グレゴリオ暦による西暦を単純に当てはめると不適切な場合がある。例えば寛永7年は、グレゴリオ暦では1630年2月12日から1631年1月31日までの間に当たり、寛永7年の年末はグレゴリオ暦で1631年となる。つまり太陰太陽暦の年末は、西暦ではすでに新年を迎え次の年になっているので、日本の歴史上の出来事を西暦の何年と当てはめる際には、それに注意しなければならないということである。 赤穂浪士の討ち入りの日を「元禄15年(1702年)12月14日」とするのを見ることがあるが、元禄15年12月はグレゴリオ暦では1703年の1月〜2月に当たるので、1702年とするのは不適切である。またグレゴリオ暦の日付では元禄15年の12月14日は1月30日にあたるが、討ち入りしたとき既に深夜0時を過ぎていたので、討ち入りは「1月31日」の出来事になる。よって赤穂浪士の討入りの日付を文献史料などに記載する場合には、「元禄15年12月14日(1703年1月31日未明)」とするのが最も適切である。
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