昌明寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/05 04:55 UTC 版)
昌明寺の寺域と伝えられる範囲も調査された。中世の遺構面が包含層ごと削平されており、堂宇など、寺そのものの遺構は検出されなかったが、瓦質土器(奈良火鉢)や石塔(五輪塔・宝篋印塔)など、中世寺院に関わる遺物が出土している。これらの遺物には16世紀・18世紀代のものに被熱した痕跡が見られ、同寺院が数度の火災に見舞われた可能性が指摘されている。 多種多様でかつ大量の出土遺物や、越州窯系青磁などの輸入陶磁器・鍛冶関連遺物などの遺物の性格から、当地には寺院だけでなく、役所(院司)などを含む古代から中世・近世にかけての大規模な集落が存在した様子が伺えるものの、2001年時点では集落本体の詳細調査まで至らず、正確なところは不明となっている。
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