旧吉野川開発史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/26 17:01 UTC 版)
旧吉野川は徳島藩第4代藩主・蜂須賀綱通によって1672年(寛文12年)別宮川との間を第十地先で開鑿、徳島城防衛の為に引水したのが発端である。下流で今切川を分流し紀伊水道へ注ぐ。1752年(宝暦2年)には吉野川第十堰が建設され旧吉野川の水量調整が図られた。この間三島泉斎・伊澤亀三郎・坂東茂兵衛らによって下流部は相次いで開拓が為され、新田開発が行われた。この間防潮・防風目的に堤防が建設され、更に1923年(大正12年)には旧吉野川の洪水調節・河川維持用水を目的に第十樋門が建設された。1936年(昭和11年)には今切川樋門が建設され防潮機能を強化したが、何れも開拓地の塩害防止を最大の目的としたものであった。
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