日本経済石垣論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:25 UTC 版)
東京丸の内の東京商工会議所二階の会頭室からは、皇居の濠の石垣が目の前に見える。永野はそれを眺めながら、「この石垣がつくられたのは徳川家康が征夷大将軍に任ぜられてまもなくというから、17世紀初頭と聞く。それから三百数十年も経た今でも、この石垣はびくともしない風情を見せている。日本商工会議所は、北は稚内から南は沖縄まで、全国各地の大・中・小の企業規模を越え、業種を越えた約百万の会員を擁している。それは大きい石、小さい石、形の変わったいろいろな石が、たくみに絡み合い組み合って隙間を埋め、堅固なものとなっている皇居の石垣のように、大小各種の企業が相互に補充し合い、日本産業の発展のために共同作業する組織体である」と考えた。日本商工会議所発行の情報誌『石垣』は、永野のこの考えにちなみ命名されている。
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