日本宣教時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:21 UTC 版)
8月初旬に帰国するとグリーン宣教師が横浜に迎えに来ていた。横浜に聖書翻訳のために滞在していたグリーン宅に滞在した。その後神戸に滞在してから、故郷の山口県吉敷村に戻った。10日後大阪に戻り、大阪府参事内海忠勝とH・H・レビットに面会した。内海は沢山を明治政府の役人に誘った。迷う沢山をレビットが初心に帰れと説得し、沢山は内海の申し出を断った。 1876年7月開設された大阪の松村診療所で、アメリカン・ボードの宣教医アーサー・アダムズの通訳として働いた。訪れる人に伝道して安息日学校を指導した。
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