日本国外での運動の模索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:30 UTC 版)
「朝鮮独立運動」の記事における「日本国外での運動の模索」の解説
韓国併合以降、日本による統治に反発した農民達は満州の間島やロシアの沿海州に大挙移住し、同地域で新韓村などの朝鮮人村落が形成されていった。一方、朝鮮総督府による抗日運動の厳しい取り締まりにより、半島内での民族解放運動が困難なものになると、独立運動家達は半島外で民族解放運動の拠点とするようになった。この両者の動きが合わさり、満州やロシアが朝鮮半島外における独立運動基地の基礎となった。具体的には、沿海州では李範允が中心になった勧業会や、李相卨と李東輝が中心になった大韓光復軍政府、北間島では義兵長の出身である洪範図が導く大韓独立軍や大倧教の勢力、西間島では旧新民会勢力が主軸になった耕学社や扶民団などの抗日民族団体が相次いで立ち上げられた。 また、アメリカ州でも安昌浩と朴容萬等が中心になって大韓人国民会を立ち上げ、同地域における独立運動の活発化を試みた。
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