日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部とは? わかりやすく解説

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日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 01:03 UTC 版)

日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部
チーム名(通称) 日本IBM野洲、IBM野洲
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1980年
廃部 2008年2003年から休部)
チーム名の遍歴
  • 日本アイ・ビー・エム野洲 (1980 - 2003)
本拠地自治体
練習グラウンド IBMグラウンド(滋賀県蒲生郡竜王町
チームカラー 青色
都市対抗野球大会
出場回数 4回
最近の出場 1996年
最高成績 2回戦敗退
社会人野球日本選手権大会
出場回数 8回
最近の出場 1999年
最高成績 4強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部(にほんアイ・ビー・エムやすこうしきやきゅうぶ)は、滋賀県野洲郡野洲町に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。一般的には日本IBM野洲と表記されていた。2003年シーズン途中から休部し、2008年に解散した。

運営母体は、日本アイ・ビー・エム

概要

1980年秋、日本アイ・ビー・エムでは東京チームに次いで野洲工場で『日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部』として設立[1]

滋賀県では東洋レーヨンが戦後活躍した時期があったが、活動を停止してから県内に目立った力を有する企業チームはなかったが、チーム設立から5シーズン目の1984年には日本選手権に、8シーズン目の1987年には都市対抗野球に初出場を果たすなど、県内では際立つ力を保持していた。しかし、全国大会出場のためには京都府の企業チームに打ち勝つ必要があり、都市対抗は4回、日本選手権は8回の出場にとどまった。

2002年11月、翌2003年都市対抗野球終了をもって休部することが発表され[2]、2003年は都市対抗野球の京滋奈兵2次予選で敗退となり活動を休止した。

その後、2005年に野洲工場が京セラに売却されて復活が不可能になり、2008年6月24日付けで日本野球連盟から正式に解散が公示され[3]、廃部となった。

沿革

主な大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

  • 萩原誠(元:阪神タイガース、大阪近鉄バファローズ) - 内野手→退団

脚注

  1. ^ “都市対抗野球 32代表の素顔 <1>”. 毎日新聞: p. 18. (1987年6月30日) 
  2. ^ “IBM野洲、来夏で休部”. 毎日新聞: p. 21. (2002年11月1日) 
  3. ^ チーム情報 登録・変更情報 2008年”. 日本野球連盟. 2016年6月2日閲覧。

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