日吉川秋斎とは? わかりやすく解説

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日吉川秋斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 10:05 UTC 版)

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日吉川 秋斎(ひよしがわ しゅうさい)は、浪曲名跡

初代

日吉川 秋斎1900年1月12日 - 1970年5月9日)本名は阪井梅之助。浪曲親友協会会長

大阪市出身。1912年初代日吉川秋水の弟子となる。戦後、ケレン(お笑い)読みで人気になった。『左甚五郎』『水戸黄門漫遊記』を得意とした。 1970年5月9日胆嚢炎のため枚方市協立病院で死去。墓所は、大阪市東淀川区の宮原墓地。 

弟子には斎東満泉和子他。

2代目

日吉川 秋斎1911年8月16日 - 1981年1月4日)本名は下仲市松。

兵庫県川辺郡の生まれ、1932年に初代の門下で日吉川斎蔵、1935年千日前愛進館で初舞台、1941年に一時太刀原幸門の名で安来節を取り入れた浪曲・音頭ショウ『太刀原幸門ショウ』をやったこともあったがその後浪曲に専念し1974年に日吉川鯉三郎を経て1975年に2代目を襲名した。初代譲りのケレン読みのネタ『左甚五郎』『水戸黄門漫遊記』を得意とした。 1981年1月14日大阪市福島区で死去。享年69。

『太刀原幸門ショウ』時代のメンバー

  • 太刀原富子(秋斎の妻で後に日吉川トミ子の名で曲師。)
  • 太刀原幸夫

ほか多数

関連項目



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