新日本との絶縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:08 UTC 版)
2006年3月19日、新日本・両国国技館大会での棚橋弘至対柴田勝頼の対戦が発表されたが、この試合自体については新日本が上井の携帯電話に「柴田棚橋戦、決まったから」と許可を得ず留守電で勝手に決めたことで上井は激怒してボイコット。これにより新日本とは絶縁すると思われたが、村上は新日本現場監督の長州力に完全決着という名での対戦を求めた。 絶縁と復縁、対抗戦という定石のアングルを展開。結局、新日本副社長の菅林直樹の口から絶縁に近いものが言い渡され、新日本との関係は終焉を迎えた。
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