越谷陸軍飛行場とは? わかりやすく解説

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越谷陸軍飛行場

(新和飛行場 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/24 04:54 UTC 版)

越谷陸軍飛行場
Koshigaya Army Airfield
越谷陸軍飛行場跡地の空中写真(1947年)
IATA: ? - ICAO: ?
概要
国・地域 日本
所在地 埼玉県南埼玉郡新和村荻島村
(現:埼玉県さいたま市岩槻区越谷市
種類 軍用
所有者 大日本帝国
運営者 大日本帝国陸軍
開設 1945年
閉鎖 1945年
座標 北緯35度54分28.51秒 東経139度45分3.87秒 / 北緯35.9079194度 東経139.7510750度 / 35.9079194; 139.7510750座標: 北緯35度54分28.51秒 東経139度45分3.87秒 / 北緯35.9079194度 東経139.7510750度 / 35.9079194; 139.7510750
滑走路
方向 長さ (m) 表面
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越谷陸軍飛行場(こしがやりくぐんひこうじょう)は、かつて埼玉県南埼玉郡新和村および荻島村(現:さいたま市越谷市)にまたがり存在した大日本帝国陸軍軍用飛行場

概要

太平洋戦争末期に急造された。現在はしらこばと水上公園などがある。正式名称は設定されなかったため、新和飛行場(にいわひこうじょう)、荻島飛行場(おぎしまひこうじょう)、論田飛行場(ろんでんひこうじょう)などとも呼ばれた[1]飛行場の建設は1944年(昭和19年)7月に開始され、同年9月20日に竣工予定であったが悪天候などにより工期が延び、1945年(昭和20年)の完成となった。

戦後1946年(昭和21年)10月に新和村で組織された農民組合により、農地を奪われた新和飛行場跡地の返還運動が組合を通して働きかけられていた。これにより幾分かの土地は新和村などに返還されたが、多くは戦災者や引揚者を主とした入植開墾地として開放された。

沿革

  • 1944年(昭和19年)
    • 7月 - 飛行場建設が開始され、勤労報国隊による工事が行われる
    • 9月20日 - 竣工予定が延期
  • 1945年(昭和20年) - 竣工
    • 8月15日 - 終戦
  • 1946年(昭和21年)10月 - 新和村において農地の返還運動が行われる

所在地

周辺

脚注・参考資料

脚注

  1. ^ 越谷市史 第二巻

参考資料

  • 『岩槻市史 通史編(1115ページ~1117ページ、1161ページ)』 岩槻市役所 発行 昭和六十年三月十五日 発行

関連項目

外部リンク




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