斤量との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:24 UTC 版)
デビュー以来本馬の世話をしてきた厩務員が「(斤量を)背負うとスタートが甘くなった。無理にハナに行くと末が甘くなる」と評したように、豊かなスピードを活かした逃げ馬であるアサヒマロツトにとって、その実績相応の斤量を背負わされるのはつらいものがあった。同世代との最終戦となった姫山菊花賞は出遅れもあって2着まで、さらに兵庫での古馬との初対戦となった白鷺賞ではホクセツエースら当時の古馬一線級に阻まれ3着に完敗している。年が明けた新春賞でも、61キロを背負い4着に敗れた。8月にはふたたび大井へ移籍しオープン戦で5着、サラブレッドのB級戦で2着。その後はいったん兵庫へ戻ったのちアラブ大賞典を目指して復帰する予定だったが、結果的には出走することはなかった。 一方で、馬齢定量で施行されていた兵庫大賞典は5・6歳時に連覇を果たしている。通算成績は49戦24勝、2着12回3着4回という安定したものであった。
※この「斤量との戦い」の解説は、「アサヒマロツト」の解説の一部です。
「斤量との戦い」を含む「アサヒマロツト」の記事については、「アサヒマロツト」の概要を参照ください。
- 斤量との戦いのページへのリンク