斉藤惣一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 斉藤惣一の意味・解説 

斉藤惣一

(斎藤惣一 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/02 23:24 UTC 版)

さいとう そういち

斉藤 惣一
生誕 (1886-07-09) 1886年7月9日
日本福岡県企救郡大里村
死没 (1960-07-05) 1960年7月5日(73歳没)
日本 東京府
墓地 雑司ヶ谷霊園
国籍 日本
出身校 第五高等学校東京帝国大学
職業 大学教授(英文学)、YMCA総主事
テンプレートを表示

斉藤 惣一(さいとう そういち、1886年7月9日 - 1960年7月5日)は、日本キリスト教青年会(YMCA)同盟総主事である。日本のJ・R・モットと言われた。

経歴

1886年(明治19年)福岡県企救郡大里村に生まれる。第五高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部で学ぶ。1911年(明治44年)東京帝国大学を卒業後に、第五高等学校で英文学の教授になる。ジョン・モット、G・M・フィッシャーの影響を受けて、1917年(大正6年)に教師を辞職して、YMCA同盟主事に就任する。1921年(大正10年)には総主事になる。

1924年(大正13年)から10年間、東京キリスト教青年会総主事に就任して、関東大震災後の復興のために尽力する。日本YMCA大陸事業の責任者、太平洋問題調査会理事[1]、日本基督教連盟遣米使節として、太平洋戦争開戦前後の日中関係日米関係改善に尽力した。

戦後は、引揚援護院初代長官に就任。 1947年(昭和22年)6月17日、関西地方の巡幸先で引揚者の環境を目にした昭和天皇に対し引揚の概況、引揚者の健康問題、引揚の促進・援護状況などを奏上した[2]。その後は1950年(昭和25年)まで外地からの引揚者のために尽力する。また国連特別委員会日本政府代表も務める。また、国際基督教大学建設実行委員長、ユニオン神学校客員教授をも務める。

1956年(昭和31年)にYMCA同盟の総主事を引退し、1960年(昭和35年)に死去し、雑司ヶ谷霊園に葬られる。

著書

  • 『世界青少年の指導者J・R・モット』
  • 『ジョージ・ウィリアムスと基督教青年会』
  • 『世界伝道協力論』
  • 『神の国の建設者』

脚注

  1. ^ 「恒久的な組織として設立、理事長に井上準之助」『東京日日新聞』1926年4月7日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.384 毎日コミュニケーションズ 1994年)
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、368頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「斉藤惣一」の関連用語

斉藤惣一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



斉藤惣一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの斉藤惣一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS