文字、文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:54 UTC 版)
アノーヤター時代の碑文にはサンスクリット文字のみが使用され、次代のソウルーの時代の文字はパーリ語が使われた。アラウンシードゥーの時代はサンスクリット文字とパーリ語が使用され、ビルマ文字が主流となるのはナラパティシードゥーの治世を待たなければならない。モン族が使用していた文字はチャンシッターの治世に頻繁に使用され、このことは彼がモン族の縁者であったことを示唆している。ナラパティシードゥー以後の碑文の多くはビルマ文字で記され、サンスクリット文字、パーリ語、モン文字は次第に使われなくなった。パガン時代のビルマ文字は表記が定まらず、形も不規則であった。1112年に製作されたミャ・ゼーディー(グーピャウンジー)碑文は四面にそれぞれビルマ語、モン語、パーリ語、ピュー語で王の功徳が記されており、エジプトのロゼッタ・ストーンに例えられることもある。 仏教聖典を元にしたビルマ文学はパガン王朝を原点とし、碑文にはビルマ文字による散文も記された。「リンガー」という、4音1行の韻文が誕生したのもこの時代である。
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