敷地周辺の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 09:20 UTC 版)
「30セント・メリー・アクス」の記事における「敷地周辺の歴史」の解説
ビルは船舶売買と海運情報の国際市場本部であった、バルチック海運取引所の建物が建っていた場所に建設されている。1992年4月10日、IRA暫定派がその付近で爆弾を爆破させたために、歴史的な本部建物と近隣一帯の建造物が激しく損傷してしまった。 歴史的建造物を保存する組織イングリッシュ・ヘリテッジと、ロンドン政府団体のコーポレーション・オブ・ロンドンは、バルチック海運取引所の再建はセント・メリー・アクス通りに面する建造物の古いファサードを修復するものでなくてはならないと主張した。特に建物内のエクスチェンジ・ホールと呼ばれた部分は、海運会社所有の歴史的にも有名な部分であった。 しかしバルチック海運取引所は、こうした修復の事業に手をつける余裕がなく、1995年に一切の土地をトラファルガー・ハウス社へと売り渡してしまった。そして残っていたほとんどの建築物は慎重に解体され、エクスチェンジ・ホールの内装とファサードは保存・密閉された。 後になってイングリッシュ・ヘリテッジは調査により、建物の損傷が想像していた以上に酷いことを知った。再建を支持する保守派建築家からの異議を押しのけ、彼らは建物を完全修復する主張を取りやめた。その後は、その場所にノーマン・フォスター設計の超高層ビル「ミレニアム・タワー」を建設するなどの案が挙がったが、案のみに終わっている。
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