摩頂松の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
玄奘が天竺へ赴く前、霊巌寺の松の枝をなでながら「私が西方へ行く間は、西へ枝を伸ばせ。私が帰国する際には東へ伸びて弟子に知らせろ」とつぶやいて出発したところ、その松は何年も西へ伸びていたが、あるとき突然東へ延びたので弟子たちは「師匠のお帰りだ」と西へ出迎えに行くと、果たして玄奘が帰ってきたところだったという。これは「摩頂松の伝説」と呼ばれ、978年編集の『太平広記』(巻92)に収録されている。この伝説は早くから流布されていたと見られ、『太平広記』から遡ること140年前の会昌元年(841年)に、長安を訪れた日本の僧侶円仁(慈覚大師)が『入唐求法巡礼行記』(巻3、会昌元年条)で、大慈恩寺翻経院にすでに「三蔵摩頂」の絵が描かれていたことを記載している。
※この「摩頂松の伝説」の解説は、「西遊記の成立史」の解説の一部です。
「摩頂松の伝説」を含む「西遊記の成立史」の記事については、「西遊記の成立史」の概要を参照ください。
- 摩頂松の伝説のページへのリンク