投手の偵察メンバー第1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)
「阪神タイガース」の記事における「投手の偵察メンバー第1号」の解説
偵察メンバーを多用した監督としては三原脩が有名だが、プロ野球で初めて考案したのは藤村富美男で、助監督兼内野手だった藤村の助言を受け松木謙治郎監督が初めて試合で使用した。1950年4月22日に熊本の水前寺で行われた対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発が左腕の清水秀雄か右腕の服部受弘か迷ったため、1番左翼手を投手の干場一夫とした。服部の先発が分かると干場に代えて左打者の金田正泰を送った。この策は成功し、金田の二塁打を足がかりに阪神が1点を先制したが、試合は7 - 9で敗れた。
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