承久の兵乱以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:38 UTC 版)
承久元年(1219年)左衛門尉に補任。同年『吾妻鏡』に御調度懸として登場する。承久3年(1221年)の承久の乱の功により、出雲・隠岐両国の守護となり、彼国に下向し、嘉禄元年(1225年)出雲守、安貞元年(1227年)隠岐守に補任される。出雲・隠岐守護職は、初め長男政義に、ついで次男の泰清へと相続された。泰清の子孫は隠岐・出雲の各地に分封されて土着し塩冶氏などの出雲源氏となった。
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