戸次鑑連(立花道雪)と誾千代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 02:28 UTC 版)
「立花氏」の記事における「戸次鑑連(立花道雪)と誾千代」の解説
大友義鎮は大友氏の一族、戸次鑑連を立花鑑載・親善にかわって立花城に入れ、立花氏の名跡を継がせた(鑑連はのちに入道して道雪と号す)。鑑連自身は主家である大友家から立花姓の使用を禁じられたため、立花姓を名乗ってはいないが、立花道雪の名で知られる。道雪は男子がなかったため、初め娘の誾千代(ぎんちよ)に立花城を譲り、晩年に道雪と同じく大友氏の庶流であった高橋紹運の息子、統虎を誾千代の婿に迎えて養子とした。統虎改め立花宗茂は斜陽の大友氏を支え島津氏との戦いに活躍し、豊臣秀吉の九州征伐の後、筑後国柳川に13万2000石を与えられた。
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