成就院_(横浜市)とは? わかりやすく解説

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成就院 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 14:11 UTC 版)

成就院 じょうじゅいん

成就院の本堂
所在地 神奈川県横浜市港南区笹下4丁目11-5
位置 北緯35度23分19.7秒 東経139度35分53.3秒 / 北緯35.388806度 東経139.598139度 / 35.388806; 139.598139座標: 北緯35度23分19.7秒 東経139度35分53.3秒 / 北緯35.388806度 東経139.598139度 / 35.388806; 139.598139
山号 梅花山
宗派 真宗高田派
本尊 阿弥陀如来
創建年 不明※浄土真宗開基は1214年(建保2年)
開基 祐玄法印
中興年 1849年(嘉永2年)
中興 花園硯城
正式名 梅花山成就院
梅花山成就坊南無佛院(梅花山南無佛院成就坊)
別称 曲田山上行寺
公式サイト 真宗高田派・梅花山成就院
法人番号 6020005001036
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成就院(じょうじゅいん)は、神奈川県横浜市港南区笹下にある真宗高田派寺院山号は梅花山(ばいかざん)[1]

概要

正確な創建年代は不明。もとは法相宗寺院で曲田山上行寺といったが、1214年(建保2年)、当時の住僧・祐玄法印が親鸞に師事し浄土真宗に改宗した。その後、15世紀浄土真宗本願寺派8世蓮如より「成就坊」の坊号を附与され、江戸時代前期には本願寺派13世良如より「梅花山」の山号を贈られ梅花山成就坊と称した(『新編武蔵風土記稿』巻之八十・久良岐郡之八[2][3]

1849年嘉永2年)の火災で本堂や多くの寺宝が焼失し一時衰退するが、1890年明治23年)に第23代花園硯城が再建した。1954年昭和29年)より現在の「成就院」を称した[3]

2014年(平成26年)には、祐玄法師の改宗から800年にあたり、本堂を再々建した[4][5]

また成就院のある高台は、かつては小田原後北条氏配下の武将・間宮康俊らの居城笹下城であったとされ、当寺の山門は近世に間宮氏陣屋門を移築したものと伝わる[6][7]

境内の樹齢約700年のマキ(槙)は1849年嘉永2年)の火災で片側が焼けたために「片身の槙」と呼ばれる[8]

脚注

  1. ^ 成就院公式サイトtopページ
  2. ^ 新編武蔵風土記稿.
  3. ^ a b 『港南の歴史』509-511頁
  4. ^ タウンニュース
  5. ^ 公式サイト
  6. ^ 『港南の歴史』(1979)107頁
  7. ^ 『こうなん道ばたの風土記』(1999)18-19頁
  8. ^ 『港南の歴史』(1979)511頁

参考文献

  • 港南の歴史発行実行委員会『区制10周年記念・港南の歴史』(1979)101-115頁・509-511頁
  • 港南の歴史研究会『こうなん道ばたの風土記』(1986初版・1999改訂版)18-19頁
  • 「雑色村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ80久良岐郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/72 

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