慕容暐の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 17:30 UTC 版)
360年1月、慕容儁が崩御すると、嫡男の慕容暐が後を継いだ。 364年8月、かつての都である龍城には未だに宗廟社稷が残されており、百官とその家族にも留め置かれている者がいた。群臣は議論してこれらを新たな都である鄴に移らせるべきだと訴え、この任を執り行うのは耆徳(徳の高い老人)の大臣でなければならないと考えた。その為、封奕は侍中慕輿龍と共にその役目に抜擢され、龍城に派遣されると、宗廟社稷を迎え入れてから鄴へ向かった。到着すると、慕容暐は自ら群臣を束ねて出迎え、道路の傍らでこれに拝謁したという。 365年4月、この世を去った。匡公と追諡された。司空陽騖が後任の太尉となった。
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