慈恩寺 (鈴鹿市)とは? わかりやすく解説

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慈恩寺 (鈴鹿市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 07:42 UTC 版)

慈恩寺
所在地 三重県鈴鹿市稲生西2丁目-12-13
位置 北緯34度50分11.6秒 東経136度33分19.3秒 / 北緯34.836556度 東経136.555361度 / 34.836556; 136.555361座標: 北緯34度50分11.6秒 東経136度33分19.3秒 / 北緯34.836556度 東経136.555361度 / 34.836556; 136.555361
山号 雲林山
院号 普門院
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観世音菩薩
創建年 不明
開基 不明
中興年 慶長10年(1605年)
中興 政海法印
正式名 雲林山普門院慈恩寺
別称 稲生の天神さん
札所等 三重四国八十八箇所 19番札所
法人番号 7190005004194
慈恩寺
慈恩寺 (三重県)
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慈恩寺(じおんじ)は、三重県鈴鹿市稲生西二丁目にある、高野山真言宗の仏教寺院山号は雲林山(うんりんざん)、院号は普門院(ふもんいん)。本尊は千手観世音菩薩

歴史

神宮寺と共に、伊奈冨神社との関係が深く、神宮寺と同時期天平年間の頃(729年 - 749年)に建てられたと考えられ、供養・葬儀など一切を当山で取り扱っていたと伝えられている。慶長10年(1605年)政海法印により中興され、その後享保年間(1801年 - 1804年)に忍盛師により再興されている。

元禄年間(1688年 - 1704年)に、京都は東寺の学僧「寂泉」が入寺した際、学問の神京都天満宮勧請し、寺子屋を開いたとされ、その後歴代住職に寺子屋は受け継がれ、寺の子弟や村人達も、多く勉強に集まったといわれ、地元では学問の寺、稲生の天神さんとして親しまれている。昭和60年(1985年)12月に、天神社が新しく建立された。

年中行事

  • 2月3日 節分会
  • 7月25日 天神祭
  • 12月31日 除夜の鐘
  • 毎月25日 天神護摩祈祷(学問向上他)

近隣施設

アクセス

参考文献

  • 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会:46 - 47

関連項目

外部リンク




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