慈恩寺 (郡上市)とは? わかりやすく解説

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慈恩寺 (郡上市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 03:24 UTC 版)

慈恩寺 じおんじ

慈恩寺本堂
所在地 岐阜県郡上市八幡町島谷399
位置 北緯35度44分53.2秒 東経136度57分41.6秒 / 北緯35.748111度 東経136.961556度 / 35.748111; 136.961556座標: 北緯35度44分53.2秒 東経136度57分41.6秒 / 北緯35.748111度 東経136.961556度 / 35.748111; 136.961556
山号 鐘山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 1606年慶長11年)
開基 遠藤慶隆
正式名 慈恩護国禅寺
文化財 花園天皇宸翰御消息(重要文化財)
絹本著色薬師三尊十二神将像、紙本墨書白隠禅師書(県文化財)
法人番号 8200005010966
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明治26年(1893年)の慈恩寺倒壊の様子

慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県郡上市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は鐘山。寺号は正しくは慈恩護国禅寺と称する。本尊は釈迦如来

歴史

この寺は、1606年慶長11年)郡上八幡城遠藤慶隆1550年1632年)の開基、半山紹碩が師の南化玄興を勧請開山として創建した。当初慈恩寺と号していたが、江戸時代1738年元文3年)護国の号を下賜された。著名な住職に隠山惟琰の法嗣、棠林宗寿がおり、以来その法が受け継がれている。そのため、隠山や棠林の墨跡を多く所蔵する。

明治26年(1893年)に裏山が豪雨により土砂崩れを起こして埋没し、多くの死傷者を出した。この災害は慈恩寺崩れと呼ばれている。

文化財

重要文化財

  • 花園天皇宸翰御消息[1]

岐阜県指定重要文化財

  • 絹本著色薬師三尊十二神将像[2]
  • 紙本墨書白隠禅師書[3]

脚注

  1. ^ 花園天皇宸翰御消息 (正月十四日)”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
  2. ^ 絹本著色薬師三尊像十二神将像”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
  3. ^ 紙本墨書白隠禅師書”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。

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