慈恩寺 (岐阜市柳津町)とは? わかりやすく解説

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慈恩寺 (岐阜市柳津町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 23:46 UTC 版)

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慈恩寺
所在地 岐阜県岐阜市柳津町高桑3-174
位置 北緯35度21分17.3秒 東経136度42分34.5秒 / 北緯35.354806度 東経136.709583度 / 35.354806; 136.709583座標: 北緯35度21分17.3秒 東経136度42分34.5秒 / 北緯35.354806度 東経136.709583度 / 35.354806; 136.709583
山号 高桑山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観音菩薩
創建年 永禄元年(1558年)
開山 雲外
札所等 美濃新四国八十八ヶ所第三十六番札所
文化財 十一面観音菩薩(岐阜市指定文化財)
法人番号 2200005002663
慈恩寺
慈恩寺 (岐阜県)
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慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市柳津町高桑にある臨済宗妙心寺派の寺院で、永禄元年(1558年)開基。山号は高桑山。美濃新四国八十八ヶ所の第三十六番札所。本尊の十一面観音菩薩は岐阜市の指定文化財

文政5年(1822年)に雪関紹珠により再興された。現在の扁額は雪関のものと伝わる。

なお、岐阜市には寺号が同じ寺が他に2寺あり、溝口中に玉保山慈恩寺、大門町に景徳山慈恩寺が存在する。

十一面観音菩薩

高桑山慈恩寺の本尊。岐阜市の指定文化財(昭和56年11月20日指定)。元は、鎌倉時代に岐阜市柳津町高桑周辺で栄えた高桑城城主・高桑氏の守りの本尊。高桑城城主の菩提寺である龍雪寺の本尊として祀られていた。大永7年(1527年)、高桑城は斉藤道三に攻撃されて落城し、高桑一族は、隣国越前国(福井県)に逃れ去った。それに伴って龍雪寺は廃寺となった。永禄元年(1558年)になって、雲外和尚が龍雪寺の跡地に高桑山慈恩寺を開基し、龍雪寺にあった十一面観音菩薩は、幸いにも高桑山慈恩寺に引継がれた。また、十一面観音菩薩を祀った観音堂の石垣の部分は、かつてこの地に存在した高桑城の石垣を利用したもの。

脚注

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参考文献

  • 柳津町 『柳津町史 佐波編』 pp.309,310



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