慈恩寺 (岐阜市大門町)とは? わかりやすく解説

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慈恩寺 (岐阜市大門町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 06:26 UTC 版)

慈恩寺
所在地 岐阜県岐阜市大門町
位置 北緯35度25分27.19秒 東経136度45分55.12秒 / 北緯35.4242194度 東経136.7653111度 / 35.4242194; 136.7653111座標: 北緯35度25分27.19秒 東経136度45分55.12秒 / 北緯35.4242194度 東経136.7653111度 / 35.4242194; 136.7653111
山号 景徳山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 地蔵菩薩
創建年 慶長14年(1609年
開山 淳岩玄朴
開基 今川氏朝
別称 小熊地蔵
札所等 市指定:地蔵菩薩
芭蕉座像
法人番号 8200005000570
慈恩寺
慈恩寺 (岐阜県)
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慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市大門町にある、地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派天球院下)の寺院。山号は景徳山。織田信長が岐阜の街を守護するために招いた寺の一つ。

なお、岐阜市には同じ寺号の玉保山慈恩寺が溝口中に、高桑山慈恩寺が柳津町高桑に存在する。

歴史

弘法大師が自刻したと伝わる地蔵菩薩が小熊村一乗寺にあったが、永禄11年(1568年)に織田信長が岐阜に招来して堂を建立したのがその始まりである。伝説によれば、地蔵菩薩が信長の夢枕に立ち、小熊に帰りたいと訴えたため、地蔵堂のある地を小熊という地名に改めたと伝わる(大門町は明治42年(1909年)に小熊町から分かれて成立した)。この地蔵菩薩は、実際には平安後期に制作されたと推定され、岐阜県最古の地蔵菩薩像として岐阜市の文化財となっている。慶長14年(1609年)に今川氏朝が快川紹喜の法嗣、淳岩玄朴を開山に招いて寺院としている。また、安永6年(1777年)に制作された木造の松尾芭蕉座像が境内の芭蕉庵に祀られており、こちらも岐阜市の文化財となっている。なお、芭蕉庵は美園町の篠田佐兵衛、天野勘三により文政年間に建てられたものである。

文化財

岐阜市指定文化財

  • 木造延命地蔵菩薩坐像
  • 木造芭蕉像

参考文献

  • 厚見郷土史編集委員会/編 『京まち歴史散歩』 p.29



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