感慨深い
別表記:感慨ぶかい
しみじみと感じ入るものがある、感じ入っている、という意味で用いられる表現。「感慨」の語そのものが「心に深く感じる」というような意味合いであり、「感慨深い」という表現は感慨を充分に感じ取っているようなさまを表明する言い方として用いられる。
「感慨深い」という表現が用いられる場面としては、たとえば「積年の努力が実って遂に念願がかなった」「過去に色々な出来事があったことを思い出す」というような場面が挙げられる。喜び・達成感・充実感・誇らしさなどの感情があったり、人情に助けられたり奇縁に恵まれたりあるいは世間の逆風にさらされたりといった幾多の記憶が思い出されていたりと、種類も程度も容易には表現しがたいものが胸裡に去来している、そのような心境が「感慨深い」と表現されているものと捉えられる。
「感慨深い」には、「しみじみとした趣を感じる」 「風情がある」というような意味合いは特にない。
「感慨深い」状況と似た心境を指す表現として「万感の思い」という言い方もある。「万感」は文字通りさまざまな感情のことである。「万感交到る」(ばんかんこもごもいたる)という慣用的な言い回しで用いられることもある。
「感慨深い」は「考え深い」(かんがえぶかい)と混同される場合があるが、「考え深い」は思慮深く慎重であるさまを形容する表現であり、意味も用法も大きく異なる。ただし「感慨深そうな面持ち」と「考え深そうな面持ち」のように、どちらをどちらと取り違えてもそれなりに意味が通りそうな文脈は少なからずある。
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