息長丹生大国とは? わかりやすく解説

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息長丹生大国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 08:15 UTC 版)

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息長丹生 大国(おきながのにう の おおくに、生没年不詳)は、奈良時代貴族真人官位正五位下造宮少輔

出自

息長丹生氏(息長丹生真人)は、息長氏の一族である皇別氏族[1]。氏の呼称は近江国坂田郡丹郷(現在の滋賀県米原市丹生)を本拠としていたことに由来する。しかし、氏人が本拠に居住していた記録はなく、多くが京貫で画工司造東大寺司の画師・仏工を務めた。はおそらく元は(公)でのちに真人改姓したと想定される[2]

経歴

聖武朝にて画工令史を務める。

天平宝字8年(764年)正月に従五位下に叙せられ、藤原仲麻呂の乱終結後の10月に大和介に任ぜられる。その後も天平神護3年(767年播磨員外介神護景雲2年(768年美作員外介称徳朝で地方官を歴任し、神護景雲3年(769年正五位下に至った。

光仁朝宝亀2年(771年造宮少輔として京官に遷っている。

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

  1. ^ 『新撰姓氏録』右京皇別
  2. ^ 佐伯[1994: 125]
  3. ^ a b 『大日本古文書(編年文書)』2巻458頁

参考文献




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