忠臣蔵事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
『仮名手本忠臣蔵』の上演に絡んで、竹本座で内紛があった。上演開始から二か月ほど経った十月に人形遣いの吉田文三郎から、九段目の段取りが詰まりすぎているところを少し変えてほしい旨の要望が座頭の竹本此太夫に対して出されたのだが、此太夫がこれを断ったところ、両者とも引き下がらず、どちらかが竹本座を辞めねばならぬところまで事態は発展した。座元の竹田出雲は文三郎を失わないよう、此太夫を引かせることにし、此太夫以下四人が竹本座を辞して豊竹座に行った。代わりに政太夫他3人が豊竹座から竹本座に招かれた。この事件のため、『仮名手本忠臣蔵』の公演を続ける事ができなくなり、十一月で公演を終えている。(この年は閏十月があったため、興業期間は4か月)。 なお、文三郎の工夫で今日まで残っているものとして、由良之助の衣装に文三郎の家の家紋である「二つ巴」をつけた事があるといわれている。
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