忠僕直助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
大野九郎兵衛は古物商の橘屋儀右衛門と計り、藤原定家の色紙の贋作を浅野内匠頭に売りつけようとした。しかし家臣の岡島八十右衛門に鑑定の才能があったので、八十右衛門は色紙が贋作だと見抜き、事なきを得る。八十右衛門はこれが原因で大野九郎兵衛から恨みを買ってしまう。 大野九郎兵衛は八十右衛門に仕返しをしようと、八十右衛門に刀を見せるように言う。貧乏で名刀など買えない八十右衛門は冴えない鈍刀を刺していたので、大野九郎兵衛に馬鹿にされる。 八十右衛門の下僕の直助はこの話を聞いて発憤。直助は刀鍛冶の所に行って修行を積み、「津田助直」という名前で有名になるほどになった。 直助こと津田助直は自身が打った名刀を八十右衛門に渡す。そして大野九郎兵衛に拝謁し、九郎兵衛の刀が真剣勝負の役に立たないものだと皆の前でけなしてその証拠に刀を簡単に折ってしまう。大野九郎兵衛は名高い津田助直に代わりの刀を懇願するが、もちろん助直は断る。 腹を立てた大野九郎兵衛は助直に斬りかかろうとするが、周りに止められる。しかもどさくさにまぎれて皆からポカポカ殴られてしまう。皆、普段から大野九郎兵衛に不満がたまっていたのだ。 その後津田助直は名巧として名を残し、八十右衛門は助直の打った名刀を持って討ち入りに参加した。
※この「忠僕直助」の解説は、「忠臣蔵」の解説の一部です。
「忠僕直助」を含む「忠臣蔵」の記事については、「忠臣蔵」の概要を参照ください。
- 忠僕直助のページへのリンク