おうきょ‐でら【応挙寺】
応挙寺
応挙寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/23 22:21 UTC 版)
1733年(享保18年)に当地で生まれた江戸時代を代表する画家円山応挙は、8歳から当寺で小僧として生活した。15歳のときに、画家の道を勧めていた住職玉堂の死を機に京都で絵を学ぶことになった。応挙は画家として名を成した後の1788年(天明8年)に当寺に赴き、本堂6室の襖53幅と壁4面に「山水図」、「波濤図」、「群仙図」を描いた。この3作は現存し、国の重要文化財に指定されている。 2005年(平成17年)には、応挙が玉堂(第4世)を描いた水墨画の掛軸や書簡が当寺で発見されている。
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