心城院_(文京区)とは? わかりやすく解説

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心城院 (文京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 06:56 UTC 版)

心城院
所在地 東京都文京区湯島3-32-4
位置 北緯35度42分27.4秒 東経139度46分07.4秒 / 北緯35.707611度 東経139.768722度 / 35.707611; 139.768722座標: 北緯35度42分27.4秒 東経139度46分07.4秒 / 北緯35.707611度 東経139.768722度 / 35.707611; 139.768722
山号 (現在公称せず)
北野山(喜見院の山号)
院号 心城院
宗派 天台宗
本尊 大聖歓喜天
創建年 元禄7年(1694年
開山 宥海
正式名 心城院
別称 柳井堂、湯島聖天、亀の子寺
札所等 江戸三十三観音札所 第7番
公式サイト 湯島聖天 天台宗【心城院】江戸三十三観音第七番札所
法人番号 1010005000381
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心城院(しんじょういん)は、東京都文京区湯島に所在する天台宗寺院大聖歓喜天を本尊とすることから、「湯島聖天」とも称されている。大聖歓喜天以外にも、十一面観音菩薩、宝珠弁財天、出世大黒天等も奉安され、「江戸三十三観音札所第七番札所」に選定されている。

概要

1694年元禄7年)、宥海によって開山された。宥海は、湯島神社(現湯島天満宮)の別当寺だった「北野山梅園寺喜見院」の第三世・大僧都で、菅原道真と縁が深い大聖歓喜天を安置する小堂「宝珠弁財天堂」を創建したのが起源である[1]。本尊の大聖歓喜天の像は、比叡山から勧請した慈覚大師円仁の作と伝えられている。

享保期には寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行され、谷中感応寺(現・天王寺)、瀧泉寺(目黒不動)とともに「江戸の三富」と称され、庶民に親しまれて賑わった。

明治維新時の神仏分離廃仏毀釈)政策により、「喜見院」は廃寺となり、湯島神社との関係も断ち切られた。「宝珠弁財天堂」を「心城院」と改称し、建立当時の因縁により天台宗に属し、再出発することになった[2]

境内には、湧水「柳の井」があることから、別名「柳井堂」(りゅうせいどう)ともいう[2]。また、元禄期より縁起が良いとされる亀を放し、現在も「亀の子寺」として親しまれいる。

開基以来何度も発生した江戸の大火のみならず、関東大震災、東京大空襲の戦火にも遭うことなく、法灯を伝えてきたが、本堂や庫裏の老朽化が甚だしくなったため、近年改修された。

心城院を出て右へ進めば、湯島天満宮の境内へ通じる男坂がある。

行事

毎月1日16日縁日(「聖天さま」浴油祈祷厳修、一般非公開)。1月5月9月の16日には大般若転読法要が行われる。

交通アクセス

関連項目

脚注

  1. ^ 心城院について心城院
  2. ^ a b 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年、113-114p

参考文献

  • 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年

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