御霊神社・羽鳥神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:59 UTC 版)
「羽鳥 (天栄村)」の記事における「御霊神社・羽鳥神社」の解説
当神社は羽鳥ダム建設以前は御霊神社と呼ばれていた。しかし、羽鳥ダム建設に伴い御霊神社が鎮座していた羽鳥菅森が沈没することから、1955年(昭和30年)9月に羽鳥湖北辺の山中腹に遷宮。羽鳥集落開祖の霊と合祀し「羽鳥神社」と名前を改めた。1878年(明治11年)11月の「岩代国岩瀬郡神社明細帳」に御霊神社について掲載されている。これによると、鎮座していたのは大字羽鳥字菅森之四、御祭神は鎌倉権五郎景政、旧社格は村社、例祭日は10月10日とある。また面積に関しても記載してあり、本殿1坪、社殿幣殿6坪、拝殿18坪、境内815坪とある。 境内の本殿に向かって右側の隅に尺五輪塔(5つの石が積み重ねられた塔)がある。元々羽鳥の約8km南西に位置する板小屋にあったもので、移転されたとされているがそれ以外の詳細は不明。神社の裏手には昔の金山採掘跡があったとされる所があり、それにちなみ金山沢という地名がつけられている。板小屋が廃村した際は、板小屋で山ノ神を称し御神体として祀られていた惟喬親王像が羽鳥の御霊神社に相殿された。
※この「御霊神社・羽鳥神社」の解説は、「羽鳥 (天栄村)」の解説の一部です。
「御霊神社・羽鳥神社」を含む「羽鳥 (天栄村)」の記事については、「羽鳥 (天栄村)」の概要を参照ください。
- 御霊神社・羽鳥神社のページへのリンク