御霊神社 (五條市霊安寺町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 御霊神社 (五條市霊安寺町)の意味・解説 

御霊神社 (五條市霊安寺町)

(御霊本宮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 19:40 UTC 版)

御霊神社
所在地 奈良県五條市霊安寺町2206
主祭神 本殿:井上内親王
南脇社殿:他戸親王
北脇社殿:早良親王
別宮:火雷神
神体 木造御霊大神坐像
本殿の様式 三間社流造/桃山様式
別名 御霊本宮・御霊宮大明神・四所御霊大明神・宇智郡大宮・御霊さん
例祭 4月第4日曜日(太々神楽/祭隔年斉行)
10月8日(節句祭)
10月第4日曜日(例祭)
テンプレートを表示

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県五條市にある神社。御霊本宮・御霊宮大明神・四所御霊大明神・宇智郡大宮・御霊さんとも呼ばれる。旧社格は県社。

祭神

祭神は次の4柱。[1]

歴史

御霊神社の御祭神である井上内親王は、聖武天皇皇女として養老元年(717年)に生誕した[1]。 5歳で斎王として伊勢皇大神宮に出仕し、のちに白壁王の妃となる。宝亀元年(770年)、白壁王は第49代光仁天皇に即位。しかし政権争いに巻き込まれ、無実の罪により皇太子他戸親王とともに大和国宇智郡没官の宅に流罪となり、宝亀6年(775年)4月25日逝去[2]

その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の怨霊の祟りと恐れ、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立し御霊を安め奉る。その頃に御霊神社も創建された[2]嘉禎4年(1238年)吉原・牧野両豪族の論争に起因し10社に分社[2]したが、その後も宮分けが進み、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀された。

関係年表

  • 養老元年(717年):井上内親王誕生。父、聖武天皇。母、県犬飼宿禰廣刀自。
  • 養老5年(721年):井上内親王(5歳)、斎王として伊勢皇大神宮に出仕。
  • 天平16年(744年):井上内親王(28歳)、斎王解任。
  • 天平19年(747年):井上内親王(31歳)、白壁王と結婚。
  • 天平宝宇5年(761年):井上内親王(45歳)、他戸親王誕生。
  • 宝亀元年(770年):白壁王(62歳)、光仁天皇に即位。井上内親王(54歳)も皇后に。
  • 宝亀2年(771年):他戸親王(11歳)、立皇太子。
  • 宝亀3年(772年):巫蠱の罪により、井上皇后(56歳)・他戸皇太子(12歳)を廃す。
  • 宝亀4年(773年):光仁天皇の姉・難波内親王厭魅した罪に問われ、井上内親王(57歳)・他戸親王(13歳)、宇智郡没官の宅に流罪幽閉。
  • 宝亀6年(775年):4月25日(27日とする説もある)、井上内親王(59歳)・他戸親王(15歳)母子ともに逝去。
  • 宝亀7年(776年):都に天災飢饉相次ぎ、母子の祟りと恐れられ、600人の僧に読経が命じられる。
  • 延暦4年(785年):藤原種継暗殺の黒幕として早良皇太子を廃し、淡路へ配流中に憤死。
  • 延暦19年(800年):葛井王が下向。井上内親王を皇后に復し、早良親王に崇道天皇を追称する。加えて同地に霊安寺を建立。御霊神社もこの頃に創祀されたと考えられている。
  • 延暦24年(805年):都で150人の僧が大般若経を読経し、母子の霊を慰める。霊安寺に稲3000束、調綿・庸綿各150斤が下賜される。
  • 弘仁7年(816年):霊安寺・御霊神社に太政官符として稲4000束を納む。
  • 貞観5年(863年):京都神泉苑にて御霊会が営まれる。
  • 天永3年(1112年):大般若経を納む(現在満願寺所蔵530巻)。
  • 明治5年(1872年):廃仏毀釈神仏分離。所蔵の仏像・経文等は満願寺へ。
  • 明治8年(1875年):御祭神1100年祭斎行。
  • 昭和19年(1944年):社格県社に昇格。
  • 平成2年(1990年):鎮守の森コンサート第1回開催。第20回まで続く。
  • 平成29年(2017年):御祭神生誕1300年祭を予定。

祭事

年間祭事

[3]

  • 4月第4日曜日:太々神楽祭(隔年斉行)
  • 10月9日:節句祭(若宮『火雷大神』が年に一度御渡りして、本社母君『井上大神』と対面され、お祭りを受けられる伝統固有の祭典)
  • 10月第4日曜日:例祭 (前日土曜:本社例祭。午後、神輿神幸渡御。五條御旅所宵宮祭。 当日日曜:五條巡幸。午後、霊安寺巡幸。夕刻、還座祭。)
  • 2017年10月8日には、井上内親王の生誕1300年祭が開催される予定

文化財

重要文化財(国指定)

  • 大般若経530巻(天永3年の奥書)。満願寺所蔵。

奈良県指定文化財

  • 本殿:三間社流造。桃山様式。寛永14年(1637)造営の棟札・古文書が現存する。
  • 木造御霊大神坐像:平安時代後期。

現地情報

所在地

交通アクセス

  • JR和歌山線五条駅より、城戸・十津川方面行バス「霊安寺」下車、徒歩約3分
  • JR和歌山線五条駅より、タクシー約5分
  • JR和歌山線五条駅より、徒歩約30分

脚注

出典

  1. ^ a b 『御霊神社縁起』p.1。
  2. ^ a b c 『御霊神社縁起』p.2。
  3. ^ 『御霊神社縁起』p.3。

参考文献

  • 『御霊神社縁起』

外部リンク

座標: 北緯34度20分7.8秒 東経135度41分52.6秒 / 北緯34.335500度 東経135.697944度 / 34.335500; 135.697944




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「御霊神社 (五條市霊安寺町)」の関連用語

御霊神社 (五條市霊安寺町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



御霊神社 (五條市霊安寺町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの御霊神社 (五條市霊安寺町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS