御楯武士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:01 UTC 版)
文久2年(1862年)3月 久坂玄瑞が尊王の思いを綴った数え歌 一つとや、卑き身なれど武士は、皇御軍の楯じゃな、これ御楯じゃな。 二つとや、富士の御山は崩るとも、心岩金砕けやせぬ、これ、砕けやせぬ。 三つとや、御馬の口を取直し、錦の御旗ひらめかせ、これ、ひらめかせ。 四つとや、世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい。 五つとや、生くも死ぬるも大君の、勅のままに随はん、なに、そむくべき。 六つとや、無理なことではないかいな、生きて死ぬるを嫌ふとは、これ、嫌ふとは。 七つとや、なんでも死ぬる程なれば、たぶれ奴ばら打倒せ、これ、打倒せ。 八つとや、八咫の烏も皇の、御軍の先をするじゃもの、なに、をとるべき。 九つとや、今夜も今も知れぬ身ぞ、早く功をたてよかし、これ、おくれるな。 十とや、遠つ神代の國ぶりに、取つて返せよ御楯武士、これ、御楯武士。
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