強大化・近隣諸国との争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 23:47 UTC 版)
「ヤーダヴァ朝」の記事における「強大化・近隣諸国との争い」の解説
しかし、後期チャールキヤ朝に止めをさしたホイサラ朝のバッラーラ2世と激しく争い、後期チャールキヤ領の南側は確保できなかった。北方では、ビッラマ5世はマールワーとグジャラートに軍を送ったが、次のジャイトゥギの治世には東方のカーカティーヤ朝にも遠征した。 シンガナ2世のときは全盛で、デカン地方一帯のみならず王朝の勢力はさらに拡大された。南方はホイサラ朝との幾度かの戦いでカーヴェーリ川上流域までのホイサラの地を蹂躙し、北西方ではグジャラート、西方はゴアを制した。だが、東南方はカーカティーヤ朝のガナパティ・デーヴァによって勢力拡大を阻止された。 シンガナ2世の曾孫ラーマチャンドラ(ラーマデーヴァ)はホイサラ朝を攻め、その首都ドーラサムドラを包囲したが、反撃によって大敗を喫した。
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