弘中隆兼(ひろなか たかかね) ????~1555
弘中隆包
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弘中 隆包(ひろなか たかかね)は、戦国時代の武将。戦国大名大内氏の家臣。大内義興の家臣で評定衆を務めた弘中興勝(おきかつ、弘中興兼(おきかね)とも)の嫡男。正式な諱は「隆包」だが、父の別名の一字により「隆兼」と表記される場合も多い(後者は誤りというよりは別表記として伝わっているものである)。
注釈
- ^ 博奕尾と呼ばれる峰に近い位置に陣を構えていた弘中隊の下山は、同じ方向から攻め下ってくる毛利軍と誤認され、大内軍の混乱を拡大したとも言われている。
出典
- ^ a b 白崎八幡宮の由緒 - 白崎八幡宮公式サイト
- ^ a b c d e f g h i 毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男(著:吉田龍司 2010年 新紀元社)
- ^ 東広島市指定史跡 槌山城跡説明板(槌山城 (東広島市) - 広島県のお城)。
- ^ a b c d 戦争の日本史12 西国の戦国合戦(著:山本浩樹 2007年 吉川弘文館)
- ^ 歴史群像シリーズ49 毛利戦記(1997年 学習研究社)
- ^ 嘉年故郷案内図 - 阿東地域交流センター嘉年分館(旧嘉年公民館)
- ^ a b 歴史群像シリーズ9 毛利元就(1988年 学習研究社)
- ^ 中津居館跡の概要 - 岩国市教育委員会
- ^ 中津居館跡について(一問一答) - 岩国市教育委員会
- ^ 岩国にある県内屈指の中世遺跡と、大量の中国の埋納銭 - 元気発信!!「山口きらめーる」2013年3月22日 vol.248号(山口県広報広聴課)
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