弁天島貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 04:11 UTC 版)
1878年(明治11年)、お雇い外国人だった考古学者ジョン・ミルンが弁天島で貝塚を発見した。これはモヨロ貝塚(網走市)などと同様にオホーツク文化に属するもので、島全体が貝塚となっていて、竪穴式住居や大量の動物の骨を伴うものだった。この遺跡はオホーツク文化を研究する上では重要なものだったが、その重要性は日本国内よりももっぱら海外で認識されるにとどまった。 貝塚の発掘はその後も続けられたが、日本人による本格的な調査は1962年(昭和37年)に東京教育大学(筑波大学の前身)により実施された。この調査では竪穴式住居から、ヒグマ、エゾシカ、アザラシ、クジラと推定される骨や、石器も出土した。これらはオホーツク人が海獣や獣を狩猟していたことを示すものと考えられている。
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