延長25回試合の担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/12 07:03 UTC 版)
1933年第19回全国中等学校優勝野球大会準決勝第2試合、中京商対明石中戦は高野が担当したが、この試合は延長25回・試合時間は4時間55分に及ぶ、高校野球史上に残る大熱戦となった(詳細は「中京商対明石中延長25回」参照)。 この試合で高野は1回から25回までを一人で実況中継、すでにJOBKでは当時1人1試合担当制が敷かれていたとはいえ、アナウンサーにとっても過酷な試合になった。試合途中で他のアナウンサーが交代を申し出たが「選手ががんばっているのにアナウンサーが止めるわけにはいかない」と断ったという。 試合終了後、周囲にいた人々から「疲れたろう」とねぎらいの声を掛けられたが、高野はまだ余力を感じていたという。
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