幸隆生とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 幸隆生の意味・解説 

幸隆生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

幸 隆生(みゆき たかお[1][注釈 1]1930年 - )は元・日本映画の特撮スタッフ。大分県出身。

人物

1951年に円谷技術研究所に入所し円谷英二に師事。1954年東宝スタジオの合成室に移籍し1962年に退社しフリーとなる。1983年の時点では、建築資材会社社長を務めていたとされる[3]

特技監督の有川貞昌は、幸は『透明人間』での単調なマスク作りを嫌がらず、丹念な仕事をしていたと証言している[2]。また、当時はアニメーションに関する資料がなかったため、アニメ映画を観に映画館へ通ったり、パラパラ漫画を制作するなど研究していたという[2]

特技監督の中野昭慶は、立体的で力量感のあった飯塚定雄に対し、幸は夢のあるファンタジックな動画を得意としていたと評している[3]

あだ名は「しぇんしぇい」だが、その由来について有川はオヤジさん(円谷英二)を「先生」と呼ぶのが「しぇんしぇい」となまっていたためそれがあだ名になったとしているが[2]、中野は幸が九州で教師(先生)を務めていたことから「 先生 しぇんしぇい」と呼ばれていたと述べている[3]

胃下垂であったため、一日中座りっぱなしの作画作業で胃を抱えて唸っていることが多かったという[3]

映画

公開年月日 作品名 制作(配給) 役職
1954年11月3日 ゴジラ 東宝 光学作画
1954年12月29日 透明人間
1957年12月28日 地球防衛軍[4] 撮影助手(特撮)
1959年10月25日 日本誕生 光学作画
1961年7月30日 モスラ
1961年10月8日 世界大戦争
1962年3月21日 妖星ゴラス
1962年8月11日 キングコング対ゴジラ
1963年1月3日 太平洋の翼
1963年5月29日 青島要塞爆撃命令
1963年10月26日 大盗賊
1964年1月13日 士魂魔道 大龍巻 宝塚映画
(東宝)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、読みを「ゆき たかお」と記述している[2][3]

出典

  1. ^ https://www.toho.co.jp/library/system/people/?9439
  2. ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, p. 73, 「有川貞昌 素晴らしき特撮映画」
  3. ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, p. 77, 「中野昭慶 爛熟期の特撮スタッフたち」
  4. ^ 映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2020年4月21日閲覧。

参考文献

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5
  • 『東宝SF特撮映画シリーズVOL.8 ゴジラvsメカゴジラ』東宝出版事業室、1994年。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幸隆生」の関連用語

幸隆生のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幸隆生のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの幸隆生 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS