平緒王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 10:27 UTC 版)
「九十九王子 (和歌山市)」の記事における「平緒王子」の解説
和佐王子から矢田峠を越え、導き石にしたがって進んで、伊太祁曽神社へ向う道から分かれ、平尾地区中央の小字王子脇の自治会館の辺りが平緒王子(ひらおおおうじ)の跡地である。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月8日条に「平緒王子」の名が見えるが、日前國懸宮への奉幣のために藤原定家自身は参詣せず、先達のみが奉幣を行ったとある。また、『頼資卿記』承元4年(1210年)4月24日条にも同様に、日前國懸宮への道から和佐・平緒の両王子が外れていたため、参詣しなかったと記されている。秀吉の紀州征伐で荒廃し、その後も60坪の境内に2尺2寸4面の社殿があったが、1908年(明治41年)3月20日に都麻津姫神社に合祀された。 所在地 - 和歌山県和歌山市平尾562
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