平成18年台風第12号
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台風第12号(Ioke、イオケ) | |
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カテゴリー5の スーパー・タイフーン (SSHWS) | |
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8月25日のハリケーン(当時)
「イオケ」 |
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発生期間 | 2006年8月27日 21:00 - 2006年9月7日 3:00 |
寿命 | 10日6時間 |
最低気圧 | 920hPa[1] |
最大風速 (日気象庁解析) |
55m/s (105kt) [1] |
最大風速 (米海軍解析) |
140kt |
被害総額 | ― |
プロジェクト : 気象と気候/災害 |
平成18年台風第12号(へいせい18ねんたいふうだい12ごう)もしくはハリケーン・イオケ(Hurricane Ioke)は、2006年(平成18年)8月に発生したハリケーン・台風である[1][2][3]。北太平洋の西経域で発生した熱帯性の低気圧で「イオケ」というハリケーンになったが、その後、東経域に移動したため台風となり、日本では台風第12号と呼ばれるようになった[3][4][5][6][7]。いわゆる「越境台風」である。
概要

2006年8月19日23時(UTC-10、日本時間20日18時)には北緯10度36分 西経159度00分 / 北緯10.6度 西経159.0度にあって、熱帯性暴風(トロピカル・ストーム)となっていた。その後、8月20日17時(UTC-10、日本時間21日正午)までにハリケーンとなった[3]。8月25日10時(UTC-10、日本時間26日5時)までにカテゴリー5のハリケーンになった[2][3]。
8月27日1時(UTC-11、日本時間27日21時)に 北緯17度12分 東経179度30分 / 北緯17.2度 東経179.5度で180度の日付変更線を超えて、東経域に入り、台風12号と呼ばれるようになった[2][3]。ただし、国際名は台風のアジア名に付け替えられることなく、そのまま「イオケ」と呼ばれた[1]。
このように西経域から東経域に移動して台風となったのは、2002年のハリケーン・エーレ(Ele、後の平成14年台風第17号)とハリケーン・フーコ(Huko、後の平成14年台風第24号)以来である[8][9]。
被害
この台風は南鳥島を直撃したため、地上の施設や観測機器が破壊され、復旧まで相当日数を要した[3]。なお、島にいた各官庁の要員は戦後初めて事前に硫黄島に避難したため、無事だった[2]。また、台風が接近したウェーク島でも大きな被害が出た[1]。
台風通過後のウェーク島の様子
その他
- このハリケーンの国際名Iokeは、このハリケーン限りで使用中止となり、次順からはIopaという国際名が使用されることになった。
脚注
- ^ a b c d e “地球が見える 2006年”. 宇宙航空研究開発機構 (2006年9月5日). 2025年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 『朝日新聞』2006年9月1日 夕刊 2社会14頁「迫る猛烈台風、駐在員離島 南鳥島」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c d e f 『読売新聞』2006年9月2日 全国版 東京夕刊 夕2社14頁「ハリケーン改め、変身台風急増 1990年以降10個発生」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2006年9月6日 朝刊 福島中会・1地方27頁「台風12号の影響で浜通り沿岸高波 波浪警報など /福島県」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2006年9月7日 岩手 東京朝刊 岩手35頁「台風12号で沿岸北部に高波 道路4か所 通行止め=岩手」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2006年9月8日 朝刊 茨城首都圏・1地方31頁「大量のごみ漂着 那珂川河口、流木など総量100トン 台風12号 /茨城県」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2006年9月13日 岩手 東京朝刊 岩手31頁「台風12号被害、8億円超す=岩手」(読売新聞東京本社)
- ^ “台風0217号(0217 ELE) 位置表” (PDF). 気象庁. 2025年9月7日閲覧。
- ^ “台風0224号(0224 HUKO) 位置表” (PDF). 気象庁. 2025年9月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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