平佐蕉雨とは? わかりやすく解説

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平佐蕉雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 08:48 UTC 版)

平佐 蕉雨(ひらさ しょうう、1829年11月2日文政12年10月6日〉 - 1922年大正11年〉12月21日[1])は、明治期から大正期にかけての華族位階爵位従五位男爵陸軍中将華族である平佐良蔵の父である。

経歴

1829年11月2日文政2年10月6日)、大森儀右衛門の次男として長門国(現在の山口県)にて生まれる[2]

1912年明治45年)7月5日、長男・良蔵が死去し、同11月11日男爵を襲爵する[3]。しかし、1914年(大正3年)1月10日に孫で養子の嘉彦に家督と爵位を譲る[4]

1918年(大正7年)1月11日には数え年90歳を迎えたことから、恩賜として銀杯酒肴料を賜った[5]

1922年大正11年)12月21日、93歳で死去した。

栄典

家族

  • 父:大森儀右衛門
  • 母:不詳
  • 妻:雪子[7]
    • 長男:良蔵(1851 - 1912) - 陸軍中将日露戦争に従軍。
    • 次男:泰弼(1867 - ?) - 子に嘉彦。
    • 四男:眷弼(1870 - ?) - 甥・嘉彦の跡を継ぐ。妻は河上徹太郎の叔母・コトヨ。子に静子。養子に周三(静子の夫)。
  • 養子
    • 男子:井上惺三郎(1907 - ?) - 大塚武松の三男で、平佐周三の実の甥。井上光の長男・太郎の跡を継ぐ。
    • 男子:嘉彦(1903 - ?) - 次男・泰弼の長男。養子に眷弼。1930年に隠居。

脚注

  1. ^ 『官報』第3123号「彙報 官廳事項」1922年12月27日。
  2. ^ 人事興信録 第3版
  3. ^ a b 『官報』第86号「叙任及辞令」1912年11月12日。
  4. ^ 『官報』第434号「叙任及辞令」1914年01月12日。
  5. ^ a b 『官報』第1631号「宮廷録事 恩賜」1918年01月12日。
  6. ^ 『官報』第7347号「叙任及辞令」1907年12月23日。
  7. ^ 山口県出身陸軍々人 五 - 軍人顕彰会

関連項目

日本の爵位
先代
平佐良蔵
男爵
平佐(良蔵)家2代
1912年 - 1914年
次代
平佐嘉彦



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