幡恒春とは? わかりやすく解説

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幡恒春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 07:34 UTC 版)

幡 恒春(はた つねはる、1883年明治16年)‐1944年昭和19年)4月17日)は、明治時代から昭和時代にかけての挿絵画家、版画家。享年62。

来歴

稲野年恒の門人。恒春と号す。1906年(明治39年)に大阪毎日新聞に入社して16年間にわたり挿絵を描いていた。特に村上浪六小説の挿絵に独自の画風を示していた。

また、1918年大正7年)[1]木版画集『阪神名勝図絵』30点を野田九浦赤松麟作水島爾保布、永井瓢斎とともに金尾文淵堂から出している。これらの彫りは大倉半兵衛、摺りは西村熊吉であった。

作品

挿絵

  • 「ふたおもて」 田口掬汀作 ※1915年(大正4年)10月11日-12月18日(朝刊→夕刊)、大阪毎日新聞
  • 「白椿」 何がし作 ※1925年(大正14年)12月19日-12月31日、大阪毎日新聞

錦絵

  • 『阪神名勝図絵』 全30枚1組 ※4 今津、7 香櫨園、9 魚崎、15 神戸市場、19 六甲を恒春が描く(1916年-1917年)。金尾文淵堂版

絵葉書

出典

  1. ^ 『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』※89-90頁。

参考文献




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