市野迷庵とは? わかりやすく解説

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市野迷庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 18:34 UTC 版)

市野 迷庵(いちの めいあん、明和2年2月10日1765年3月30日) - 文政9年8月14日1826年9月15日))は、江戸時代後期の儒学者。名は光彦、字は俊卿のちに子邦。通称は三右衛門。別号に篔窓・不忍池漁・酔堂。太宰春台の門人であった市野東谷の孫にあたる[1]


注釈

  1. ^ 棭斎も通称三右衛門だったので、文政の六右衛門と並称されたという[2]
  2. ^ 三村竹清蔵。竹清は最初は荘子天下篇の白心、つまり「心を明白にする」という意味だと思っていたが、斎藤拙堂『鐵研餘滴』に張九齢の詩をあげて「但願白心在終然涅不緇」とあるのを読み、納得したという[5]

出典

  1. ^ 長澤規矩也・監修『漢文学者総覧』汲古書院、1979年、34頁。 
  2. ^ 森鷗外『鷗外選集 第六巻』岩波書店、1979年、32頁。 
  3. ^ 森鴎外『鷗外選集 第六巻』岩波書店、1979年、31頁。 
  4. ^ 三村竹清『本之話』岡書院、1930年、66頁。 
  5. ^ 三村竹清『本之話』岡書院、1930年、56頁。 
  6. ^ 森銑三『森銑三著作集 別巻』中央公論社、1989年、321頁。 


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